菩薩と如来 装飾の有る無し

同好会でもたまにそんな話が出たりするし、前に何かでも読みました。

修行を終え仏となった如来はもはや己を飾る物は必要ない。従って如来は装飾無し。他方、まだ修行の最中である菩薩は人と同じように装飾品を身に付けている(持物とは別の話です)。

菩薩の代表が地蔵さんや観音さんで、彼らは首飾りやら宝冠やらを身に付けています。人であった頃の名残なのでしょうか?対して、如来の代表である阿弥陀さんは確かに衣だけで飾りはありません。大日如来だけは例外とのこと。なぜ例外なのかは…各自調べてください。

瑠璃観音

首飾りと宝冠 瑠璃観音


大日如来

首飾りと宝冠 大日如来

仏さまって、元々は人間なんですよね。日本でも海外でも神は生まれながらにして神であって人は(基本的には)神にはなれない。菅原道真のような例外もありますけど。でも、仏には修業すればなれる、と認識しています。そこが仏教の救いなのかもしれません。

自らの修行を中断してまで衆生を救いにやってきてくれる菩薩は、如来とはまた違う魅力があるのでしょう。

大日如来

2015年7月20日 [CAT習作] [要素:]

これは1年前に完成させたもの。非常に苦労しました。
大日如来前
大日如来横
大日如来上

仏像としっかり向き合えない日が多く、触れることすらできない日が続きました。散漫な意識で彫るのは失礼だと思うし、そういう時はケガをするからです。守り本尊(という言葉も初めて知ったのですが)だからなのかもしれませんが、自分と向き合うことができなければ彫れないように感じていました。

彫れば彫ったで、やってもやっても進まない。腕も光背も掘り出しでして、腕の内側に苦心したわけです。先輩の作った大日如来をお借りしてそれを見本に地を這うように(笑い)進みました。

だから出来上がったときは本当にうれしかった。完成前から毎日のように「見て見て」と進み具合を夫に見せて「…昨日とどこが違うの?」と言われたり。彫った人にしか分からない、わずかな違いなのです(^^;。

どの本を見ても大日如来はもっとスリムでもっと彫り込むべきなのでしょうが、私にはこれが精一杯でした。がっしり系の大日如来もまあいいか、と。おまけに画鋲の穴が残っちゃってるし。

これは私が死んだら棺へ入れてもらおうと思っています。

余談ですが、仏像彫刻仲間の作っている物を見て思いました。守り本尊が千手観音でなくて良かった!腕も顔もいっぱいあって、あれは大変です。最初は母にも守り本尊を作ってあげようと思ったのだけど、母の守り本尊は残念ながら(?)千手観音でした。だから衣を着た(つまり髪を作らなくていい分、楽な)白衣観音に決めたのでした。