理想と現実

2019年8月5日 [CAT趣味の手作り] [要素:, ]

自分用に織った裂き織りのマフラーを見ていて気付きました。「こんな風に織りたい」と思い頑張って織った部分より、数段織っては「違うことしたい」とあれこれやって落ち着かない織りになっていた部分の方が面白く感じ、心惹かれることに。

前者は理想。一緒に織っている方の作品を見て「こう在りたい」と目指したもの。途中で何かしたくなってもグッとこらえてできる限り規則的なパターンを揃えました。それでもちょっと不規則入ってますけど。自分的には目一杯規則的。

規則的を目指した織り部分

自分としてはかなり規則的

でも現実の私は、ちょこちょこ気の向くままに色んな織りを混ぜ込んで不規則を作ろうとします。同じ事を繰り返すだけだとすぐ飽きる。不規則な中でもバランスが取れていれば美しいと感じるから全体的なバランスは気にしますが。

好きなように織った部分

思うように織った不規則な部分

理想目指して頑張ってみたら、元のやり方が自分には合っているし心弾むと思い知った瞬間でした。それはすごくいい、でも私のやり方じゃない。そういえばこの認識をここ1年でずいぶん意識しました。やってみて初めて分かることなんですね。

私はきっと、前述の方の人柄や在り方も併せて「いいなぁ」と思うのでしょう。織り方だけの問題じゃないね。そもそも裂き織りに挑戦したのは、頭で考えるのではなく感じるままに手を動かしてみるためでした。だから頑張るのもこらえるのもその目的には合ってない。

これからは思う存分、好き勝手に織ろう(笑い)。

仏像は顔など左右対称を基本として作ります。人間が作るからもちろん左右非対称になるわけですがそこを、道具を使ってきちんと図り、対称に近くなるほど美しく見えます。裂き織りは全く違う視点を持って作れます。どちらもそれぞれに面白い。私の中である意味、バランスが取れるのかも。

許されていると伝えることで意思疎通できない人の表情が変わる

2019年7月26日 [CAT雑記] [要素:]

母の具合が悪くなりちょっと先が見えない感じになりました。が、また安定したようです。こういうのを年1~2回繰り返しながら少しずつ弱っていくのだろうと思っています。

それでこの機会に、以前から心に留めていたことを伝えることができました。それは何かというと、許されていると知らせること。

前に鈴木秀子さんの出演するTV番組を見て以来、心に残っていたことがあります。その番組では鈴木さんが認知症で意思疎通できない寝たきりの女性に対し、女性が最も心配し心を痛めているであろう事柄について、大丈夫、もう何も問題ないことをきちんと話すうちにその女性の表情が和らぎました。固く握りしめていた手を緩め、微笑みました。

認知症だからって聞こえていないわけでもなければ、理解できないわけでもないんです。きっと反応できないだけ。一方通行で、ある意味、動物とのコミュニケーションに似ています。

母にはこんな風に伝えました。母が悔いているであろう某人との関係について。

かの人はもうお母さんの事怒ってないよ。もう許してくれてるよ。お母さんの事を思ってくれてるよ。だからもう自分を罰することはしないで。
必死に生きてきてもがきながら犯した失敗はいいんだよ。お母さんだってあれが精一杯だったんでしょう?頑張って頑張って生きたその中での事なのだから許されるんだよ。
自分でも悪かったと思っているんだよね。思っていながら変えられなかったんだよね。もういいんだよ。全て許されてる。
これからの時間を、過去を悔やむのではなく今を幸せに過ごしてほしい。お母さんが幸せなら子供たちも孫たちもみんな幸せだから。
母の白衣観音

TVの鈴木さんほどはできなかったけれども、母の表情は確かに変わりました。への字に結んだ口が、微笑むまでにはいかなくても、確かに緩みました。握りしめる手も少し伸びました。ただ肉親というのは近すぎて、第三者の方が上手く伝えられるのかもしれません。

私、たとえ肉親であろうと他者の人間関係に介入する気はこれっぽっちもありません。別に母と仲良しだったわけでもなく、母がこういう状態になってやっと受け入れられた次第です。でもね、死にゆく人へムチを当て続ける必要もないだろうと。母が何を悔いているかは想像できたから解消できるならその方が良いと思いました。本当は当事者本人が言ってくれたらベストなのでしょうけど、他者からの言葉であってもちゃんと届くことが分かりました。

そして不思議と、母にかけた言葉は私自身にも響きました。自分を許せ、過去の失敗や過ちを思い出して自分を責めるのは止めなさい、と。

意思疎通できない相手でも心は伝わります。口先だけだとダメですね(実は経験済み)。心から伝えれば受け取ってくれます。受け取ったかどうか判別は難しいですけど、母を見る限り、魂がお出掛け中な状態に見えても理解してくれるでしょう。ピンと来た方はどうぞお試しください。ポイントは体に触れながら(鈴木さんは手を握っていました)具体的な内容を、心を開いて本気で伝えようとする姿勢だと思います。

さて、母はこの夏を乗り切れるのか。ここ数年は毎年のように夏をこんな風に見ております。今回も安定したからまだしばらくは大丈夫な気もしますが、しばらくは人にスケジュールを空けてもらうような約束はしないでおきましょう。

ヒノキの家になれなくても

2019年6月13日 [CAT小地蔵さん] [要素:]

やっと少しずつ、減っていた小地蔵さんたちの補充に向けて作業を始めました。といっても本当に亀のような歩みですけど。なんせまだ3日に1回数時間ずつしか彫れないので。

久々に小地蔵さんを作りながら改めて思います。ヒノキの家になれなかった端材たち、仏になれたらうれしいよね?

季節もの

以前、平等院のミュージアムで見た古い仏像。一般的に仏像にはサイズや配置の決まり事がありますがその仏像は元の木の形に合わせて作られたため、ちょっと歪んでいたりしました。倒れたご神木の形に合わせて作ったのだそうです。私はそれを見てとてもいいなぁと思いました。美しいと定められた形に合わなくても物を大切にする心やご神木に対する畏敬の念が感じられて。

今の時代は木材もぜいたくに使えますがかつては貴重だったはずで、外観にこだわらず使っていたのではないでしょうか。使われた木の種類も様々で、本当に「自然である」とはこういうことなのかなと思います。

木目のきれいに詰まった木材は、それはそれで素晴らしい。観賞するための仏像にはそういう物を使えばより価値が高まるでしょう。でも私の作品のような、なでたり持ち運んだりして「使う」物なら、木が喜ぶことの方が重要な気がするのです。だから端材の端材もできるだけ何かに使ってあげたいと心掛けています。

できるだけ多くの木片を仏にしてあげたい。ヒノキの家になれなくて薪ストーブで燃やされるはずだった木片たちが、待っています。ゆっくり、焦らず、作っていきましょう。

友達の定義

2019年6月5日 [CAT雑記] [要素:]

先日、友人と「友達って」な話をしました。以下、私の友達観です。

私にとって友達とは、損得勘定のない関係。義理しがらみとも遠い関係(義理で動くのは知人)。だから友達を利用して利益を得ようとする人とは付き合えないし、人として対等であろうとしない人とも(それが上であれ下であれ)難しい。心から大切に思い誠実であることを心掛けています。それが通じるのが私にとっての友達。

じゃあ、仲間って何だろう?とも考えました。仲間は私にとって、同じ方向・身近な目標目指して共に活動する人たち。これももちろん個々の利害関係無し。

仲間と友達、違うのかと言われたら大体同じです(笑い)。友達の方がより私的な付き合いをする点と、一緒に何かの活動をするとは限らない点が相違点かな?行動区域が違います。でも最も重要な価値観とか在り方が同じ方を向いている点では同じです。

私の場合、人間関係の選択では「SNS無しでも関わっていける人」というのも必要。

私、携帯電話を持たない主義です(でも実は20年前には持ってました)。ネットは使うし便利だと思うけれども電話や手紙しか連絡方法がなくてもいいから、「つながり」を強調するSNSに頼らなくても連絡できて話の出来る人。SNSはとても便利だし手段として優秀だと思うけど、便利じゃなくても関われるかが私には大事。

コースター上の仏さんたち

仲間…?

友達って、「作る」ものじゃなくて「なる」ものだと思っています。あいさつから始まって、関わっていく内により深い話をするようになって、いつからか友達に「なって」いるものだと。だからSNSやショートメッセージ使えないなんて面倒くさい、と思うならその人への興味はその程度だと認識してます。連絡が不便でもそれでもやり取りしたい、と思えるかどうかが最初の一歩じゃないのかな。

友達少なくても私は、幸せです。量より質だと思います。友達は自分で選ぶことができます。恋愛でも友情でも何でも、真に信頼できる人と真摯に関わっていけることこそ、幸せだと思うのです。

悩みがほどけて前向きになれる場所

2019年5月16日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:, ]

旅行中、手の状態がだいぶ良くなって、「これなら間もなく治るのでは」と期待しました。が、帰宅して日常に戻ったら逆に悪化。これ、さすがにかなり落ち込みました。しかも落ちたまま戻れない。どーーーーーん。

それが、同好会へ行っておしゃべりしていたら何だか元気が出てきて、新しい視点から対策を考えたりまた前を向くことができました。

ケガの事なんて話してないのに。たわいもない話をして笑っていただけなのに。仏像仲間、恐るべし。

ところで今ある手指の痛み、50歳前後の更年期にある女性が患う症状なんだって!どんぴしゃですわ。ホルモンバランスが急激に変わったことに体が対処しきれなくて関節の状態が悪くなったりするらしい。症状がどこに出るかは生活様式や体質による。

そうだよねぇ。だって治らないのがおかしいと思うほど、手を大事にしてるもん。痛める程使ってないし。使い過ぎが原因ならとっくに治ってるはずなのに悪化するって、どういうこと?問題の根っこは手じゃないんだな。

思ったより長引くのかも。いやもう十分長引いてるけど。だからこれからは、この状態でいかに負担をかけず彫るかを探っていきます。