悩みがほどけて前向きになれる場所

2019年5月16日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:, ]

旅行中、手の状態がだいぶ良くなって、「これなら間もなく治るのでは」と期待しました。が、帰宅して日常に戻ったら逆に悪化。これ、さすがにかなり落ち込みました。しかも落ちたまま戻れない。どーーーーーん。

それが、同好会へ行っておしゃべりしていたら何だか元気が出てきて、新しい視点から対策を考えたりまた前を向くことができました。

ケガの事なんて話してないのに。たわいもない話をして笑っていただけなのに。仏像仲間、恐るべし。

ところで今ある手指の痛み、50歳前後の更年期にある女性が患う症状なんだって!どんぴしゃですわ。ホルモンバランスが急激に変わったことに体が対処しきれなくて関節の状態が悪くなったりするらしい。症状がどこに出るかは生活様式や体質による。

そうだよねぇ。だって治らないのがおかしいと思うほど、手を大事にしてるもん。痛める程使ってないし。使い過ぎが原因ならとっくに治ってるはずなのに悪化するって、どういうこと?問題の根っこは手じゃないんだな。

思ったより長引くのかも。いやもう十分長引いてるけど。だからこれからは、この状態でいかに負担をかけず彫るかを探っていきます。

形の先にあるもの

2019年4月17日 [CAT雑記] [要素:]

東寺展の帝釈天騎象像を見ながら思いました。私はこれを見てどこに美しさを感じるのだろう。形…だけではないよね、きっと。もちろんこの形は好みだし、素晴らしいと思うけれども。

東寺の帝釈天騎象像

東寺展HPより拝借

子供の頃、いつも思っていました。なぜ大人は成績とか体格とか表面しか見ないのだろう、なぜその人(子)の中身を見ないのだろう、と。

やがて成長して10代に入ると、それは大人だけでなく同年代の子でも同じだと気付きました。表面しか見ない人のなんと多いことか。表面に振り回される人のなんと愚かなことか。自分自身も含めて(多感な10代は複雑なのです)。

成績が良い、顔立ちが整っている、体形がきれい。…それで?
それはそれで素敵な事だけど単なるひとつの要素に過ぎません。その人の存在を形成する要素のひとつ。それを人としての価値そのもののように扱うのはおかしいよなぁと青臭いティーンエイジャーはずっと感じていました。大切なのは中身なのに。

そして50代に突入した今でも、その認識は変わりません。

だからこの帝釈天も単なる形に感動しているのではないと思うのです。形もさることながら、そこからにじみ出る何かに美を感じているのでしょう、きっと。もしかしたらそれは、作った人の魂の輝きかもしれません。
以前、先生がおっしゃった「仏像彫刻は形ではない。心が大事」というのはそういうことなんだろうなと、改めて思います。

形に敬意を払い、形を追求していくその先にある何か。人の心に届く何かを目指して、これからも彫っていきます。ありがたいことに、その思いを理解してくれる人がいてくれる。

そのためには、とりあえず腱鞘炎治ってください;;>自分の両手
そう思うなら手の使い方を直してください<自分の両手

趣味で最も重要な事

2019年4月15日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

仏像彫刻をやってみたいけど、「絵心がないから」とか「そんなに上手くはできないから」やらないという理由をしばしば聞きます。その他、「自分には仏像を彫る資格がない」というのも。

一度やってみればいいのにー。その好奇心がもったいない。

絵心は関係ありません。絵は平面、彫刻は立体。しかも自分で作図するわけじゃないから。仏像彫刻はただひたすら基本の作り方と下図に忠実に作っていくのみ。反復練習して経験を積むことが唯一の上達法です。
地蔵菩薩下絵

それに、趣味なのに上手くないといけないんでしょうか。仕事で作るのであれば精神的・技術的に一定レベルが必要なのは当然ですが、好きでやっているだけの趣味にその考え方はそぐわないと思うのです。例えば趣味でテニスを始めたからって「錦織選手みたいなプレーができない」という理由で止めたりしないでしょう?

歴代仏師のレベルを目指すのであればプロに弟子入りすればよし。でも趣味ならば、他者と比較して優劣を決める必要はありません。それをする人は多分、続かないと思います。やればやるほど辛くなっちゃうから。

そして仏像というのはありがたいことに、趣味で彫っているだけでも自分の中にあるドロドロを清めてくれます。しかも像の中には残りません。だって仏さまだもん。仏は穢(けが)れません。心がぐしゃぐしゃな時ほど本当は彫った方がいい(でも実際はそういう時って彫れないものだけど)。覚りを開いた聖人君子は仏像を彫る必要なし。また彫る人に仏への信仰心なんかなくても仏さんは彫ることを喜んでくれると思います。
母の白衣観音

ま、趣味なんて自分がやりたい事だけやればいいんです。基礎は飛ばす、と思うならそうすればいい。だってその人の趣味だから。好きなことだけやればいい。やってみて「やはり基礎技術が必要」と思ったら練習すればいいのでは。生活に関しては「好きな事だけ」なんてできないけれど、趣味だからこそ「好きな事だけ」できるのです。

一番重要なのは、面白がる心だと思います。上手く作る事ではありません。上手くいかなくて頭を抱えている時ですら悩んで落ち込んでいる自分を面白がってみる、そんな心意気。私なんて最初の3年程は仏像に対して面白がることはあまり無く、仏像彫刻仲間といるのが面白くて続けていただけ。今は彫ることも面白いですが。そんな面白がり方もあったっていいでしょ?

やってみて、続けるかどうかはその後考えればいいと思うのです。やってみて満足したらまた別の事をすればいいし。やってみる、ということをせずにいつまでも気持ちを引きずる方がずっと問題。

皆さんもやってみたいことがあればとりあえず、試した方がいいですよ。芽吹きの春だしね。何か始めませんか。

試してみたら…

2019年4月12日 [CATshopのあれこれ] [要素:]

北米在住の友人知人を見ていてすごいなと思う点のひとつに、トライ&エラーがあります。

やりながら考える。まずやってみて、上手くいかなければそこで一旦立ち止まり軌道修正してまた進む、というやり方です。失敗を失敗のまま終わらせずに次への糧とする進み方だと思います。また、人間関係で間違いを犯してもやり直すチャンスをもらえます。

日本だとエラー(失敗する事)自体を許さない風潮があり、トライすらしない、成功する確率の高いことしかやらない傾向にありますが海外では全く違うようです。日本でも高度経済成長期くらいまではきっとそうだったんだろうなと、高齢の仏像仲間を見て感じます(上に行くほど行動派)。

私もそう在りたいと願い、この天先案内人の活動を通してあれこれトライをしてきました。失敗はあるし悩んでばかりですけどその中で、積み重ねてきたものもあります。

例えば、こういうやり方はいいなぁと思っていたのに実際体験してみたら自分には合わなかったという事が多々ありました。これはやるべき・必要なことではないかと思ってやってみたら自分には必要なかったということも。「それはとても良い、でも私のやり方ではない」といったところ。1回やってみて撤退した案も結構あり。

また、一緒に仕事するなら価値観の合う人と組みたいと強く意識するようになりました。「思いを形にする」ことの大切さを理解できる人と。単に「売れる物」を作ることは、私にはできませんでした。

トライのおかげで今の自分の身の丈がはっきり見えてきた気がします。

頭でぐちゃぐちゃ考え悩むより、とりあえずやってみる方が早くて分かりやすい。最初から完璧である必要なんかない。人生の先輩たちを見ながら自分にこう言い聞かせています。海外のハンドメイド販売サイトへもその信条で掲載の準備をしています。

たとえ神仏の求めであろうとも

2019年4月5日 [CAT小地蔵さん] [要素:]

以前から広報部隊を連れ出して皆さんに見てなでてもらっているわけですが、時々こんな言葉をかけていただけます。「私、この子に呼ばれてる」「前に見てからずっと気になってた」「この子が目に浮かぶ」…その「この子」がこれ。
広報部隊第1号

蓮華座に乗った合掌の小地蔵さんです。広報部隊第1号。たもとに節の跡が残ってしまい販売する商品とはせずに残留しました。友人たちの夢や瞑想にも時々出没すると聞いてます。私の代わりに会いに行ってる?

さて、見えないものと話せる人や感覚の敏感な人には何かが伝わるのでしょう。そしてその方たちは必ずこう悩みます。「仏さまが呼んでいるのだから買うべきでは」。心優しい素直な方々なのだと思います。

で、そんな時はこう返します。「心が決まるまで待って、次の機会までちょっと様子を見てはどうでしょう」。

お金儲けがしたいなら買うように勧めますよ。「一期一会」なんて言葉で追い詰めれば焦って買う人もいるでしょうよ(ひでーな)。

でも天先案内人の活動目的はそこじゃない。私がこの「活動」(あえて仕事とは言わず)を続けているのはこれを持つ人の幸せを願うからです。そして私の考える幸せの第一条件とは、自分の人生を自分の意思で生きること。自分で悩んで決断して腹をくくって何かを選び(=それ以外は捨てて)進むこと。どんな小さな事でも。結果に関わらず。

たとえ仏が「私を手元に置きなさい」と言おうが、自分自身がそれをしたいと思わないならやる必要はありません。「したい・やりたい」と思ったらそうすればいいのです。

他者の「こうするのがベスト」という言葉にそのまま従うのは自分の人生を生きているとは言えないでしょう?自分で決めてこそ、自分の人生です。神が何を言おうが、仏が何を言おうが、親や世間や国家が何を言おうが、自分の人生は自分で決める。やるもやらぬも、どの選択肢を選ぶかも。自分で決めていいんです。自分の人生だから。

あとは、自分で決めたらその結果も自分で受け入れる覚悟を決めるだけ。他人のせいにはできないですから。自由と自立はセットです。私もそこに向かって進んでいるつもり。

あ、人生には自分で選べない物事もたくさんありますけど、それは今できる事だけを精一杯やってあとは天に任せるのみ。選べないことを「選べなかった」と悩むのはやめて、今選べることを自分で選びましょう。

話を小地蔵さんに戻すと、人間って本当に欲しいものは他人が止めても手に入れますよね。どうしても買いたい物は他人に意見を聞きませんて。悩むという事はどうしても欲しい・必要ではない可能性が高いと私は思います。

もっとも、どんな経緯・状況であろうがそれに関わらず仏さまは変わりなく寄り添ってくれます。手元に来たならそれが縁。何を選択しようとも分け隔てなく、より良い生き方へのサポートをしてくれることでしょう。

心の底から欲しいと感じたらぜひ買ってくださいね。小地蔵さんを介したやり取りが「私はどうしたい?」と自分の心に向き合うきっかけになれば幸いです。