教室と同好会

2019年2月20日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

仏像彫刻@静岡の記事「教室と同好会の違い」に、かつてを思い出しました。

私は最初が先生のいる教室でなければ続かなかったなぁ。そもそも仏像そのものには特に興味もなくただ木を彫りたいだけ、半年やったら乗馬教室へ移るつもりで始めた程度で、同好会でやっていくだけの「熱」が発生したのは仏像彫刻を始めて3年目でした。それまでは同好会にも籍は置いていたものの、たまに彫刻刀を砥ぎに行くか忘年会に出るか、くらい(笑い)。

同好会の皆さんはそれでも受け入れてくれました。人それぞれのペースがあり事情がありますので、参加するかしないか、出席頻度はどのくらいか、それぞれです。長らく顔を出さなくても来れば歓迎、の姿勢がとてもありがたかったので近頃皆勤賞の私もそれを心掛けています。趣味なのだから無理して頑張る必要もないと思うのです。彫刻は引退して忘年会要員となった方もいます。

教室の方は、その場に行って先生に言われたことを言われたとおりにやっていけばいずれ完成します。言われたとおりにできなくても、多少出来は劣りますが完成には至ります。

でも同好会では誰も「やりなさい」とは言わないから自分でやらないと完成には至りません。自由度が高い分、動力も自家発電が必要な感じ。

今の私にとっては、教室も同好会も両方必要です。互いに補い合っている存在。それぞれの場でないと会えない仲間もいるし、それぞれの良さがあり、どちらも大切な場です。

富士教室の作品展行ってきました

点数は少ないながら力作ぞろいでした。一昨年の静岡展示会でご一緒した富士メンバーとも再会できて、善きひと時を過ごしました。

明日までやってます。お近くの方はぜひ。
宗雲先生の慈母像
地蔵菩薩
可愛らしい作品群

大和宗雲 富士教室 仏像彫刻展
《日時》平成31年2月9日(土)~11日(月・祝)
10時~16時、11日のみ15時まで
《会場》茶房 樫村 1階
富士市柚木165-1 樫村胃腸科外科医院北隣
駐車場有
入場無料
どなたでもご覧いただけます。お気軽にお立ち寄りください。

近くの雁公園でお弁当を食べて帰りました。残念ながら曇りでして、寒くってね…。弁当食べたら早々に撤収です。ちなみに弁当の中身は、人間用が稲荷寿司と酢飯のおにぎらず、犬用はゆで卵。犬に弁当は要らないんですけど、人間が食べているとうるんだ目で見つめるので(夫が)落ち着かないんです(^^;

今週末は富士の展示会へ

9日から11日まで富士教室の作品展示会が開催されます。私も行きたいなと。運転手(夫)とお供(犬)を誘って遠足がてら。興味のある方はぜひ足をお運びください。

富士では先生のいる教室とは別に自主練習会という形で同好会も始まるそうです。富士メンバーも気さくで気持ちの良い方達です。

大和宗雲 富士教室 仏像彫刻展
《日時》平成31年2月9日(土)~11日(月・祝)
10時~16時、11日のみ15時まで
《会場》茶房 樫村 1階
富士市柚木165-1 樫村胃腸科外科医院北隣
駐車場有
入場無料
どなたでもご覧いただけます。お気軽にお立ち寄りください。

小地蔵さんの冒険 西伊豆編

2019年1月18日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

夫の小地蔵さん、どうやら今回は西伊豆へお泊りしたようです。しかも駿河湾フェリーに乗ったとか。

暮れなずむ西伊豆

夕焼け空がきれいだねぇ

宴会はひっそりやった模様。

お宿で宴会

お宿で宴会


西伊豆の海

海もきれいだね


駿河湾フェリー

ガラガラですがね

駿河湾フェリーは運営会社が撤退を決めたのですが、県がそれを引き継いで運営するとかしないとか。思うんですけど、民がやってダメだったのを官が単に同じやり方しながら税金投入しても、続けるのは難しいんじゃないですかね。この路線はあったらいいなとは思うけど無いと困るわけじゃないし。乗ったことのある県民ってどのくらいいるんでしょうか。どういうやり方をするのか心配しながら見ています。

…とそんな事まで考えちゃった小地蔵さんの西伊豆探訪でした。

畜生界に物思う

2019年1月7日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

先の「小説 ブッダ」を読んでいる流れで、以前から納得いかないと感じていた「畜生界」という概念もやはりブッダの教えとは違うのだろうと感じました。畜生界は輪廻転生する6つの世界(六道)の中のひとつで下から3番目、ちなみに人間界は上から2番目。

そもそもブッダがインドで悟りを開いた理由、それはヒンズー教のカースト制度が大きな一因であったとされています。生まれながらにして社会的な階級が決められ不可触民とされた人々は人間として扱われる事すらない、そんな社会に疑問を持ったからこそ仏教が生まれたわけで。

ブッダは社会的地位も性別も関係なく人は平等であると説き、自分の命も他人の命も、動物であれ植物であれ、命の重みに差異は無いと教えています。だから無駄な殺生をしてはいけない(最小限の命を分けいただき生きよ)と弟子に伝えていたそうです。動物を殺すなかれとも。

小説にはブッダが「私が鹿だった頃」と子供たちにお話しする場面があります。ブッダの教えを記した経典に乗っている内容だそうで、彼は動物だったこともあれば植物だったこともあれば、鉱物だったことも風や雨だったこともあると話しています。

だったら動物の命も人間の命も差別はしないでしょうに。なぜどこで一体いつ、動物の魂は人間の魂より程度が劣るという概念が仏教に組み込まれたのでしょう。また、男性の僧に比べ尼僧の地位が低いのはブッダの教えに反したことではないのでしょうか。どの命も同じように大切、というのが教えの重要な根幹だと思うのですが。

犬の寝姿

まあちょっと落ち着け

イエスもブッダも他の聖者もきっとその原点となる教えはまっすぐで美しく筋の通ったものだっただろうに、それを受け入れた人間の社会によって歪められたまま継承された部分が沢山あるはず。イスラム教過激派なんて、イスラムの神様は泣いてるだろうなぁ。

ついでに言うと、動物(特に特定のほ乳類)を殺すことには過敏なのに植物や微生物や虫には無関心、な主張にも私はなじめません。いや、植物も微生物も虫も私は殺すことがありますけどね。微生物なんか毎日何億も殺して(食べて)るだろうし。人間は動植物の命を食べて生きているのだから殺生は避けて通れません。ただ、いただく命に感謝し、より少ない殺生ですむように心掛けることはできると思います。

小説を読みながら、畜生界、という概念から始まって色んなことを考えています。ずっと納得できなかった日本社会や仏教的通念の矛盾に「やっぱりね」と思う今日この頃。上でもなく下でもなく対等、という意識が増えたら世界はきっと平和になります。