得の高い魂ー若くして亡くなることに思う

2018年12月21日 [ CAT 仏像彫刻周辺の話] [要素:]

ブッダはこんなことを言ったそうです。「生きることは苦行である」と。

仏教とは別の話で、人間はその苦行をして魂を磨くためにわざわざこの世界へ肉体を持って生まれてくるのだと聞いたこともあります。それで改めて思うのです。幼くして・若くして亡くなる方の魂というのは、苦行をする必要のないほど徳の高い魂なんじゃないかなって。

彼らの魂はきっと、修行をするためではなく周囲に何かを与えるために生まれてくるのだと思うのです。何か大切なものを与えて、仕事を終えたらさっと空へ還ってしまう、そんな存在に感じます。

なぜ今、そんなことを考えているかといえば、ティク・ナット・ハン著「小説 ブッダ」を読んでいるから。小説ではありますが経典や史料を基にブッダが伝えた本来の仏教に迫る内容で、幼くして亡くなった魂は修業が足らないから三途の川を渡れないなんて間違った教え、ブッダは絶対言ってないと確信しました。
6寸地蔵菩薩立像完成正面

そもそもブッダが伝えたのは本質的な「苦悩から救われるための暮らし方・物の見方考え方」であって、今の仏教的体系は後世にできたもの。富や権力その他を得るための手段として宗教を利用した結果、歪められた教えもあるでしょうし、間違った観念が正されずに残った場合もあるでしょう。

あれは無理やり地蔵菩薩にすがらせる(=仏教を普及させる)ために作った概念だったのか、あるいは仏教以前からそういう捉え方があったのか。いずれにしても役に立たない言葉です。

子供を亡くした親の心を傷付けるだけでこれっぽっちも救えない宗教なんて、価値はありません。そんなものに心を踏みにじられる必要も全くありませんて。子供を亡くした友人たちが「うちの子は徳の高い魂だったんだ、だから神様のお使いを終えて速やかに天へ還っていったんだ」と思える社会通念であってほしいと願っています。

「小説 ブッダ」、なかなか面白いです。まさか自分がこういう本に興味を持つとは思ってもいませんでしたけども。お地蔵さんを作って人様に提供する以上は地蔵菩薩本来の概念を知りたいという気持ちも根底にありまして。

ところで私、長生きしそうなのです。いっぱい修行しろってことですかね(^^;

追記 書いていて思いました。神様と仏様、天国と極楽が何の違和感もなく共存する私の意識はどっぷり日本人。それに「ん?」と思わないあなたもどっぷり日本人(笑い)。

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