彫る前からそれは仏さま

2017年5月12日 [ CAT 仏像彫刻周辺の話] [要素:]

宗琳さんの本にはこんな言葉が載っていました。

極端にいえば、木取りも何もしていない、まだひとつのかたまりでも、この木を使って仏を彫ろう、と決めた瞬間から、もはや普通の材木ではなくなるのです。その時から、それは仏です。たとえ未完成になってしまっても仏さまなのです。
―大佛師 松久宗琳 より

仏像彫刻仲間が父親に久世観音を彫ってあげようと木取りした木材を用意したのだけど彫る時間がないままお父さんは亡くなり、そのまま棺に入れてあげたそうです。でもそれはもう既に観音さまになっていたと思うのですよ。お父さんはきっとうれしかっただろうなと思いました。
救世観音お顔

この1年、本当に大変な時間を過ごしてきたようですから、お父さんはあの世から「もうこれからは自分のために時間を使いなさい」と微笑んでいるのではないでしょうか。

仏像って、ただ形が良いとか美術的に価値があるとかそれだけの存在ではないと思うのです。いや、それももちろん大事でしょうが。最も重要なのはそこに込められた思いや魂じゃないかと。だから、どれほど形の整った仏像であっても機械で削って誰の心もこもっていなければそれはただの「物」にすぎなくて、それを持った人が仏として敬って初めて仏さまになるような気がします。

遺される者が救われる・心安らかに生きる、そのための仏像であり、手段であると思います。たとえ簡素な形であっても、特に自分で作った仏さまはきっと心を慰め励ましてくれるでしょう。

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