3度目の…
地蔵菩薩、白衣観音、瑠璃観音と宗琳さん作品を3種類(4点)作ってみて心底身に沁みたこと。それは、宗琳作品を6寸で作るべからず。
少なくとも1尺(30cm)は欲しいです。宗琳作品は装飾が細やかでとても6寸の大きさでは表現しきれません。小手先の作業になってしまう私レベルには6寸じゃ無理。っていうか、今頃理解したわけ?
3度目の正直ならぬ、3度目でやっと思い至った己の未熟さって感じ(^^;。次はもっと簡略な彫りの作品にしようと思いつつ、昨秋、仏教美術展で見た宗琳作品の吉祥天にも心惹かれているのでした。←懲りない
改めて、トイレに6地蔵
5地蔵のままだったトイレの守り神(?)がやっと6地蔵になりました。6体揃うと、やはり「ありがたい感」が増します。
私はトイレをきれいに保っているつもりなので(というか仏さんがあるおかげで掃除に手が抜けない)、仏さんの置き場所がトイレでも問題ないと思っています。要は、汚く扱っているかきれいに扱っているかじゃないかと。
6体の並びを眺めるとこの6年の変遷がよく分かるので、飽きません。向かって左から古い順に並んでおります。
5地蔵から6地蔵へ
犬が死んだらお供に付けてやる予定の6地蔵(現5地蔵)、最後の1体が完成し、展示も叶いました。同好会の展示会に6体揃えて出そうと思いつき、突貫工事で進めたものです。
6年前、初めて作った仏像彫刻がこの合掌地蔵です。向かって左から古い順に並んでおります。比べながら思いました。技術的に向上してリアルな造作ができるようになるほど、可愛さから遠のくのだなと。
可愛さはデフォルメあってこそ。リアルじゃ可愛くない。可愛いのは技術とは別次元なのです。5号(5体目)が正にそれで、3年前、持っていた技術を全てつぎ込んで作りました。
結果、可愛くないお地蔵さんができました…。
今回の6号、造作は少々雑です。とにかく時間がなくて、こちらはとりあえず形としてまとめるだけにして止めましたがそのおかげでちょっとカワイさが残りました。顔が少々リアルな方へ傾いてしまったけれども。目をもっと大きくすれば良かったね。
こちらは小地蔵さんの発想を形にし始めた時期の作品。まさか自分の作品を販売することになるとは思っていなかっただけに、あれやこれや悩みながら進んでいた頃です。
この6体はいずれ愛犬の亡骸と共に燃えてしまう予定で、その前に大勢の人に見てもらえる機会が作れたことをとてもうれしく思います。仏さまも人に見てもらうと喜ぶんだって。だから展示会には臆することなく出しましょう。
スリムな白衣観音
衣紋
衣紋は(衣紋も、かな)難しいです…。地蔵菩薩立像の衣紋はあらかじめ練習したりして頑張ったけれども、出来上がりとしては「頑張りましたね(努力賞)」って感じ。
ベテランさんやプロの作品は木なのに柔らかな布にしか見えません。滑らかに美しいドレープを描いて流れています。先輩の作品を見るたび、こんな風に彫りたいなぁと思います。そう思って彫り始めるのに実際には程遠い出来上がり。何より彫りが浅い。もっと思い切りよく!と自分を励まします。
彫刻をやったことのない人は衣も見本を見れば簡単にできると思うかもしれません。いやいや、それは甘いですね。
少なくとも彫刻刀の扱いに不慣れな初心者が写真を見てささっと作れるものでもありません。衣紋は、初心者だったら三角刀で線を入れるのがせいぜいではないかと。少なくとも私はそうでした。立体にするなんてとてもとても。もしできてしまう方がいればそれは視覚情報を具現化する才能に秀でた方です。
こんな風に書きましたが練習次第で確実に上達しますので、興味のある方はカマボコ板にでも練習してみてはいかがでしょう。ちょっとでも布っぽく見えると楽しいですよ。私はこの本を見て練習しました。
布の流れる様が彫刻で表現されているのはとても美しいと感じます。硬い木で作っているからこその美しさなのかもしれません。