瑠璃観音の台座完成

2018年12月26日 [CAT習作] [要素:]

教室で1ヶ月ぶりに彫刻刀を持ちました。指の治りは…まだまだ。細かい作業ができないのですがとりあえず框(かまち)の足は完成。力を入れられないから進行が遅いこと遅いこと。
瑠璃観音台座完成

台座完成といっても、まだホゾを彫らないといけないんですけどね。足にゲタを履かせるのでそれを固定するための溝です。白衣観音の時はこんな感じでした。
下駄位置決め

今の手の状態では溝彫りが難しいので先送り。光背も細かい作業になるので先送り。爪が完全に生え変わる(その頃には痛みが引くはず)まで彫刻は控えて、他にやってみたかったことにチャレンジします。できない事を「できない」と嘆いても何も得られないもんね。彫れないのは寂し~い気持ちになるけれど、新たな興味へと進めるのだから良しとしましょう。

そういえば先週の忘年会@相模原でこの観音さまを見た某さんから「これ(台座)は回るの?(*´▽`*)」という言葉が飛び出し、大爆笑。以来私の脳裏からは、回る蓮華座の上で華麗にポーズをとる観音さまが離れず、ふとした瞬間に顔が笑ってしまって困ります。

このブログを読んでいる方にとって平成30年(←今回はあえて元号)はどんな年だったでしょうか。楽しいこともうれしいことも、辛いことも悲しいことも悔しいことも全て「糧」となりますように。ショップは明日から1月3日まで年末年始休業に入ります。どうぞ良いお年を。

入口は違っても

2018年12月25日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

6月にお邪魔して以来、次はいつ行こうか虎視眈々と狙っていたぽちの和@相模原 木彫り同好会。忘年会へ突撃いたしました。そして散々楽しんでお土産までもらった挙句、写真すら撮っていないことに、ブログを書こうとして気付きました。いや、飲んで食べてしゃべるのに忙しかったんです(笑い)。宴会の様子はぽちの和ブログにてどうぞ。

でね、不思議な感覚に陥ったのです。その日参加していた木彫経験者は私を入れて3名いて、それぞれ仏像彫刻、能面、鎌倉彫りを習いました。私が木彫りをやってみたいと思った時に悩んだ選択肢がその3種類。私たちはそこでそれぞれ違う選択をしたわけで、全く別の場所で違う技術を学んできたのに、ここでこうして同じ物を彫っている(その日は彫ってないけど)。

入口は違ったけどたどり着いたところは一緒だったなぁと。もちろん、それぞれの世界で作りたい物とかは違うんですよ。それが、最も個人的な想いを形にすると「うちのコ」になるんですね。未経験から始めた方はまっすぐ「うちのコ」へ進んだことになります。何だか、そういうのって面白いなと。

メンバーでまだ会ったことのない最後の1名、同好会発祥地点という伊東支部長さんにもいずれ会う機会が来るといいなぁ。「うちのコ」を彫って愛でたい方はぽちの和・松原さんまで。皆さん気の良い方達です。

ところで、獺祭(だっさい)という日本酒を初めて飲みました。いつも読んでいるブログ農家の台所の主さんがそのお酒大好きらしく、漢字だけは知っていたけど読めなかったお酒です。おいしいですね。松原さんのお手製サングリアも飲みすぎる程おいしかった。今度はこちらの地酒でも持っていこうかと思います。

手の炎症が治まって(=お酒が飲める)良かったとしみじみ思いました。

得の高い魂ー若くして亡くなることに思う

2018年12月21日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

ブッダはこんなことを言ったそうです。「生きることは苦行である」と。

仏教とは別の話で、人間はその苦行をして魂を磨くためにわざわざこの世界へ肉体を持って生まれてくるのだと聞いたこともあります。それで改めて思うのです。幼くして・若くして亡くなる方の魂というのは、苦行をする必要のないほど徳の高い魂なんじゃないかなって。

彼らの魂はきっと、修行をするためではなく周囲に何かを与えるために生まれてくるのだと思うのです。何か大切なものを与えて、仕事を終えたらさっと空へ還ってしまう、そんな存在に感じます。

なぜ今、そんなことを考えているかといえば、ティク・ナット・ハン著「小説 ブッダ」を読んでいるから。小説ではありますが経典や史料を基にブッダが伝えた本来の仏教に迫る内容で、幼くして亡くなった魂は修業が足らないから三途の川を渡れないなんて間違った教え、ブッダは絶対言ってないと確信しました。
6寸地蔵菩薩立像完成正面

そもそもブッダが伝えたのは本質的な「苦悩から救われるための暮らし方・物の見方考え方」であって、今の仏教的体系は後世にできたもの。富や権力その他を得るための手段として宗教を利用した結果、歪められた教えもあるでしょうし、間違った観念が正されずに残った場合もあるでしょう。

あれは無理やり地蔵菩薩にすがらせる(=仏教を普及させる)ために作った概念だったのか、あるいは仏教以前からそういう捉え方があったのか。いずれにしても役に立たない言葉です。

子供を亡くした親の心を傷付けるだけでこれっぽっちも救えない宗教なんて、価値はありません。そんなものに心を踏みにじられる必要も全くありませんて。子供を亡くした友人たちが「うちの子は徳の高い魂だったんだ、だから神様のお使いを終えて速やかに天へ還っていったんだ」と思える社会通念であってほしいと願っています。

「小説 ブッダ」、なかなか面白いです。まさか自分がこういう本に興味を持つとは思ってもいませんでしたけども。お地蔵さんを作って人様に提供する以上は地蔵菩薩本来の概念を知りたいという気持ちも根底にありまして。

ところで私、長生きしそうなのです。いっぱい修行しろってことですかね(^^;

追記 書いていて思いました。神様と仏様、天国と極楽が何の違和感もなく共存する私の意識はどっぷり日本人。それに「ん?」と思わないあなたもどっぷり日本人(笑い)。

スタンドルーペLEDライト付!

2018年12月5日 [CAT彫刻用品] [要素:]

怪我をする前に注文して入荷待ちしていた机上型の拡大鏡が、怪我後に届きました。それから2ヶ月近く、箱のまま置いてあったのですが初めて使ってみました。自分の指を見るのに。
卓上ルーペLED照明付き

いいです。すごーく。レンズ裏に照明が付いて、暗い所でもはっきりよく見えます。作業の邪魔にならない形状も予想通りでした。

天気の悪い日や日没後などに作業したい時、暗くてよく見えないのです。家には卓上照明がないので、いや違う、ホームセンターで買った598円のLED卓上照明が1ヶ月で壊れたもので、最初は単なる普通の電気スタンドを買うつもりでした。が、ルーペ付きだったら尚良しかなと思いまして。こういう単純な作りの機器が壊れるとしたら球切れか接触不良からだろうと考え、まともな部品を使ってきちんと作られていそうな商品を選んだつもりです。

まさか自分のケガした指をみるために開封するとは思いませんでしたが(^^;
そういえばHAZUKIルーペを初めて使ったのも爪先に刺さったとげを抜くためだったような。あいたたた。

このスタンドルーペは電源がコンセントからと電池からと使い分けられます。卓上への固定もできますし、鉄にはマグネットでくっつきます。老眼と共に暗い場所での見え方が衰えてきた目にはありがたい商品です。出先で使うならHAZUKIルーペ、家ではスタンドルーペとなりそうです。

利き手が使えなくて一番困ったのは…

2018年11月26日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

週末、教室で久々に彫刻刀を使いました。まだ指先が使えず細かい作業はできませんが、それにまだ結構痛いけど、やっぱり形ができていくのは楽しいです。そしてまだまだ続く怪我ネタ。

最も炎症がひどかった2週間は、利き手の右腕を体にピタッと付けて暮らしました。歩いて腕に振動が伝わるだけでも、右手で怪我していない他の指一本かすかに動かしただけでも、親指に激痛が走ったから。

食事は左手でスプーンかフォークか何なら手づかみ。着替えは夫に手伝ってもらいました。お風呂はシャワーで流すのみ、体を洗うということは無理ですが特に問題なし(寒かったけど)。でもね、どうにもならなかったことがただひとつ。

それは歯磨き。レベルダウンで実害あり。

左手で磨くわけですが、思うところへ手が行ってくれないのです。全然ちゃんと磨けない。時間をかけても磨き残りが。脳ミソと左手の意思疎通が全くダメダメ、まるで気の合わない二人羽織ですよ。年齢的に、きちんと歯磨きできなければ知覚過敏が素早くやってきます。そうなるとますます磨くのが難しくなるのです。焦りました。

右手で何とか磨けないかと歯ブラシを持ってみるも、持っただけで激痛。諦めました。左手で必要最低レベルを磨けるようになるまで1ヶ月近くかかりましたがこればっかりは他人に頼めないし(今はまだね)、ひたすらトレーニングあるのみ。左手との意思疎通を滑らかにするしかありませんでした。

これから想像するに、左手でお箸を使えるようになるには数ヶ月かかると思われます。子供がまっさらな状態から覚えるより時間がかかりそう。

さて、包丁も使えなかったので料理は乾物に頼りました。切り干しの大根・ニンジンやひじきに角切り高野豆腐、市販品と自家製干し野菜とを色々ストックしています。水と調味料を鍋に入れたら乾物を戻さずそのまま放り込んで煮れば完成です。出汁や風味が必要なら粉末の昆布・ショウガ・出し粉、干しエビ、スライスしいたけ。栄養豊富で簡単。使った鍋は洗えないので夫に託してました。

1日1品でも3日分の量を作れば毎日ローテーションしていくから問題なし。車を運転できるようになってからはお惣菜を買ったことも。料理が苦手な夫も週末には炊き込みご飯を作ってくれました(おかずは作れないので)。

包丁と言えば、キッチンバサミが役に立たなかったこと!ハサミって、利き手の親指が使えないと切れないんですね。キッチンバサミに関しては手が2本揃っていないと使えないのだと気付きました。

他にも手が2本ないと、あるいは親指がないとできないことが結構ありまして、手の不自由な人はすごく工夫して暮らしているんだなぁとしみじみ感じ入りました。

ですが、左手の多用は五十肩予防には役立ったと思います。四十肩・五十肩は利き手でない方の、動かす機会の少ない腕に出やすく(私は四十肩で左を痛めたことがあります)、可動域が狭くなって炎症を起こすようです。予防には肩から大きく使うのが一番。日常の動作で物を取る時などひじを上げて腕を動かすと肩の可動域が広がります。脳の活性化には両手を均等に使うのが効果あるらしいし、利き手でない手を意識して使うのはメリットのある事だと思います。