否定語で感謝を述べるのは何故

2019年4月19日 [CAT雑記] [要素:]

最近の言葉遣いですごーく気になるのが、「感謝しか無い」という言い回しです。なぜかと言えば、「しか無い」は否定語だから。以下、あくまで私の感覚で述べております。

「~しか無い」は、他の可能性や選択肢を否定する言葉だと思います。「こうするしか無い」「残りはこれだけしか無い」といった風にちょっと切羽詰まった感じもあったりして。あまり印象は良くありません。

TVインタビューで「両親には感謝しか無い」という言葉が使われたのを私はこう感じてしまいました。他の感情もあったのかな、と。他のネガティブな感情も存在したからそれを打ち消す言葉遣いをするのかな、それが過去の事か今現在もそうなのかは分からないけれども、と言葉の表す意味を一瞬考えました。

決して人の裏腹を読みたいわけでなく、単に「言葉」にこだわっているだけ。その人が表現したい思いを正確に受け取りたいのです。「感謝」と「しか無い」はとても居心地の悪い組み合わせに感じるから、あえてそれを使う心理は何だろうと思ってしまいます。どんな言葉で自分の思いを表現するかにその人の視線が表れると思うから。

何で「感謝の気持ちでいっぱい」じゃダメなんでしょう。せめて「ただ感謝あるのみ」とか。溢れる思いを表現するのに否定語を使うのは感覚的に合わないと思うのですが、そう感じるのは私だけなのでしょうか。

海外ドラマで「husband」を「主人」と吹き替えるのと同じくらい、私にとっては「止めて~;;」な言葉遣いなのでした(「主人」は主従関係を表す言葉、だから日本では「夫」と「主人」が同義語、だけど海外ドラマの世界では同義ではない)。

形の先にあるもの

2019年4月17日 [CAT雑記] [要素:]

東寺展の帝釈天騎象像を見ながら思いました。私はこれを見てどこに美しさを感じるのだろう。形…だけではないよね、きっと。もちろんこの形は好みだし、素晴らしいと思うけれども。

東寺の帝釈天騎象像

東寺展HPより拝借

子供の頃、いつも思っていました。なぜ大人は成績とか体格とか表面しか見ないのだろう、なぜその人(子)の中身を見ないのだろう、と。

やがて成長して10代に入ると、それは大人だけでなく同年代の子でも同じだと気付きました。表面しか見ない人のなんと多いことか。表面に振り回される人のなんと愚かなことか。自分自身も含めて(多感な10代は複雑なのです)。

成績が良い、顔立ちが整っている、体形がきれい。…それで?
それはそれで素敵な事だけど単なるひとつの要素に過ぎません。その人の存在を形成する要素のひとつ。それを人としての価値そのもののように扱うのはおかしいよなぁと青臭いティーンエイジャーはずっと感じていました。大切なのは中身なのに。

そして50代に突入した今でも、その認識は変わりません。

だからこの帝釈天も単なる形に感動しているのではないと思うのです。形もさることながら、そこからにじみ出る何かに美を感じているのでしょう、きっと。もしかしたらそれは、作った人の魂の輝きかもしれません。
以前、先生がおっしゃった「仏像彫刻は形ではない。心が大事」というのはそういうことなんだろうなと、改めて思います。

形に敬意を払い、形を追求していくその先にある何か。人の心に届く何かを目指して、これからも彫っていきます。ありがたいことに、その思いを理解してくれる人がいてくれる。

そのためには、とりあえず腱鞘炎治ってください;;>自分の両手
そう思うなら手の使い方を直してください<自分の両手

趣味で最も重要な事

2019年4月15日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

仏像彫刻をやってみたいけど、「絵心がないから」とか「そんなに上手くはできないから」やらないという理由をしばしば聞きます。その他、「自分には仏像を彫る資格がない」というのも。

一度やってみればいいのにー。その好奇心がもったいない。

絵心は関係ありません。絵は平面、彫刻は立体。しかも自分で作図するわけじゃないから。仏像彫刻はただひたすら基本の作り方と下図に忠実に作っていくのみ。反復練習して経験を積むことが唯一の上達法です。
地蔵菩薩下絵

それに、趣味なのに上手くないといけないんでしょうか。仕事で作るのであれば精神的・技術的に一定レベルが必要なのは当然ですが、好きでやっているだけの趣味にその考え方はそぐわないと思うのです。例えば趣味でテニスを始めたからって「錦織選手みたいなプレーができない」という理由で止めたりしないでしょう?

歴代仏師のレベルを目指すのであればプロに弟子入りすればよし。でも趣味ならば、他者と比較して優劣を決める必要はありません。それをする人は多分、続かないと思います。やればやるほど辛くなっちゃうから。

そして仏像というのはありがたいことに、趣味で彫っているだけでも自分の中にあるドロドロを清めてくれます。しかも像の中には残りません。だって仏さまだもん。仏は穢(けが)れません。心がぐしゃぐしゃな時ほど本当は彫った方がいい(でも実際はそういう時って彫れないものだけど)。覚りを開いた聖人君子は仏像を彫る必要なし。また彫る人に仏への信仰心なんかなくても仏さんは彫ることを喜んでくれると思います。
母の白衣観音

ま、趣味なんて自分がやりたい事だけやればいいんです。基礎は飛ばす、と思うならそうすればいい。だってその人の趣味だから。好きなことだけやればいい。やってみて「やはり基礎技術が必要」と思ったら練習すればいいのでは。生活に関しては「好きな事だけ」なんてできないけれど、趣味だからこそ「好きな事だけ」できるのです。

一番重要なのは、面白がる心だと思います。上手く作る事ではありません。上手くいかなくて頭を抱えている時ですら悩んで落ち込んでいる自分を面白がってみる、そんな心意気。私なんて最初の3年程は仏像に対して面白がることはあまり無く、仏像彫刻仲間といるのが面白くて続けていただけ。今は彫ることも面白いですが。そんな面白がり方もあったっていいでしょ?

やってみて、続けるかどうかはその後考えればいいと思うのです。やってみて満足したらまた別の事をすればいいし。やってみる、ということをせずにいつまでも気持ちを引きずる方がずっと問題。

皆さんもやってみたいことがあればとりあえず、試した方がいいですよ。芽吹きの春だしね。何か始めませんか。

試してみたら…

2019年4月12日 [CATshopのあれこれ] [要素:]

北米在住の友人知人を見ていてすごいなと思う点のひとつに、トライ&エラーがあります。

やりながら考える。まずやってみて、上手くいかなければそこで一旦立ち止まり軌道修正してまた進む、というやり方です。失敗を失敗のまま終わらせずに次への糧とする進み方だと思います。また、人間関係で間違いを犯してもやり直すチャンスをもらえます。

日本だとエラー(失敗する事)自体を許さない風潮があり、トライすらしない、成功する確率の高いことしかやらない傾向にありますが海外では全く違うようです。日本でも高度経済成長期くらいまではきっとそうだったんだろうなと、高齢の仏像仲間を見て感じます(上に行くほど行動派)。

私もそう在りたいと願い、この天先案内人の活動を通してあれこれトライをしてきました。失敗はあるし悩んでばかりですけどその中で、積み重ねてきたものもあります。

例えば、こういうやり方はいいなぁと思っていたのに実際体験してみたら自分には合わなかったという事が多々ありました。これはやるべき・必要なことではないかと思ってやってみたら自分には必要なかったということも。「それはとても良い、でも私のやり方ではない」といったところ。1回やってみて撤退した案も結構あり。

また、一緒に仕事するなら価値観の合う人と組みたいと強く意識するようになりました。「思いを形にする」ことの大切さを理解できる人と。単に「売れる物」を作ることは、私にはできませんでした。

トライのおかげで今の自分の身の丈がはっきり見えてきた気がします。

頭でぐちゃぐちゃ考え悩むより、とりあえずやってみる方が早くて分かりやすい。最初から完璧である必要なんかない。人生の先輩たちを見ながら自分にこう言い聞かせています。海外のハンドメイド販売サイトへもその信条で掲載の準備をしています。

青春18きっぷ

この春、二十数年ぶりに青春18きっぷを使いました。JRの普通列車のみ1日あたり2370円で乗り放題となる切符です。乗り降り自由、と思うだけでワクワクします。

1回目が先に紹介した宇宙ミュージアム木組み美術館山種美術館のコース、2回目が上野公園で びわ湖長浜KANNON HOUSE-上野東照宮-東京芸大アートプラザ-黒田記念館-東京国立博物館のコースでした。トーハクは今、東寺展をやってましてそれをメインに。

びわ湖長浜KANNON HOUSEは高月町にある日吉神社の十一面観音坐像が展示されていましたがこれがとてもいい姿で。小さいのですけどね。公式サイトの写真より実物の方がずっといいです。

トーハクは庭園が開放されていて初めて入りました。金土曜の夜間はライトアップするそうです。東寺展とお気に入りの展示を回ってハニワにも再会。今回もやっぱり可愛かった。思わずハニワグッズを買いそうになるくらい。写真撮ったのだけど手違いで全部消えてしまいました。

東寺展は帝釈天騎象像がさすがの麗しさ、乗っている象の作りもいいなぁと眺めました。第1展示場は書物などの展示がほとんどで私には興味のない世界だったので、第2展示場ばかり何度も周り直して見ました。またトーハクから出なければ再入場可能で、庭園や他の常設展示を見て帰る前にもう一度、ささっと東寺展の仏像を楽しんでいくなんて贅沢をしてきました。

上野公園は桜吹雪の時期になるだろうと予想して計画したら、満開の日に当たってしまい花見の人出がすごくて、通り抜けるだけでヘロヘロ。桜はきれいだったんですけどね、人が多すぎて人酔いするというか。
桜吹雪の中を歩くのは大好きなのです。風が吹くと花びらが渦巻いて舞う瞬間が現実とは思えないくらい美しい。

で、肝心の18きっぷですが神奈川-東京間の混雑と静岡県内が長くて飽きることを除けば快適です。時間はかかりますけど。快速アクティに乗ると激しく混む(静岡県民目線では)ことを理解したので次はそれを避けようと思います。

帰り道は「疲れたなー。次乗るとしたら1年くらい先でいいや」と思うのに、帰るとまたすぐ18きっぷで乗りたくなるのはなぜでしょう。新幹線だとそうはならないんですよ。普通列車では車窓に流れていく景色を楽しんだり(外はちょうど桜満開)、暇な時間そのものを味わったり、乗る事自体を満喫するからだと思います。新幹線は速すぎて単なる移動手段になってしまうのでしょう。

ちなみに静岡県内は18きっぷで乗れる快速はありません。長い上に鈍行のみ。静岡県最東駅の熱海から西の新所原まで4時間近くかかるんだって。もし静岡を抜けるルートを取るなら途中下車して観光しないと、嫌になると思います(笑い)。

18きっぷは駅で買うと5回分まとめて(1万1850円)しか買えませんがチケットショップには3回分とか1回分とかがあります。1回あたりの単価は高くなりますけどね。ヤフオクにもたくさん出ますよ。

まぶたに浮かぶその顔は

2019年4月8日 [CAT仏像彫刻周辺の話] [要素:]

去年くらいから、ふとした瞬間にある仏さんの顔が目に浮かぶようになりまして。

手は頬の辺り。にこやかに微笑んでいます。その微笑みはまばゆく光を放っています。観音さまだよねぇ。これ、誰?

トーハクで大法恩寺展を見た時、最後の部屋で如意輪観音を見つけて「これか?」と思いました。すごく好きな顔立ちで微笑んでいたのですけどね、近い感じだけどこれじゃない。

その後、京都・広隆寺の弥勒菩薩を写真で見て「うーん、すごく近い!でもなんかちょっと違う」と思いました。「あれは誰だったんだろう?」と思いつつ過ごすこと数ヶ月。ついに見つけました。

広隆寺弥勒菩薩半跏像

広隆寺 弥勒菩薩 Wikipediaより拝借

奈良・中宮寺の菩薩半跏像です。弥勒菩薩とそっくりだけどちょっと違う。これです。この顔。

中宮寺半跏像

中宮寺より拝借 菩薩半跏像

意外だったのは宇宙人型だったこと(仏像好きの皆さんごめんなさい)。私、この古い時代の仏像は形があまり好きじゃないのです。広隆寺の弥勒も、世間では人気があるみたいだけどちょっと苦手でした。ひょろっとしてて。やっぱり運慶以降のあのふっくらした感じが好き。なのに何でこれ???でもこれなんですよ。この顔。この微笑み。この表情は好き。

中宮寺もこの菩薩半跏像も知らなかったのだけどたまたま見つけました。手が完全に動くようになったら、瑠璃観音の光背を作り終えたら、この仏さんを作ります。

たとえ神仏の求めであろうとも

2019年4月5日 [CAT小地蔵さん] [要素:]

以前から広報部隊を連れ出して皆さんに見てなでてもらっているわけですが、時々こんな言葉をかけていただけます。「私、この子に呼ばれてる」「前に見てからずっと気になってた」「この子が目に浮かぶ」…その「この子」がこれ。
広報部隊第1号

蓮華座に乗った合掌の小地蔵さんです。広報部隊第1号。たもとに節の跡が残ってしまい販売する商品とはせずに残留しました。友人たちの夢や瞑想にも時々出没すると聞いてます。私の代わりに会いに行ってる?

さて、見えないものと話せる人や感覚の敏感な人には何かが伝わるのでしょう。そしてその方たちは必ずこう悩みます。「仏さまが呼んでいるのだから買うべきでは」。心優しい素直な方々なのだと思います。

で、そんな時はこう返します。「心が決まるまで待って、次の機会までちょっと様子を見てはどうでしょう」。

お金儲けがしたいなら買うように勧めますよ。「一期一会」なんて言葉で追い詰めれば焦って買う人もいるでしょうよ(ひでーな)。

でも天先案内人の活動目的はそこじゃない。私がこの「活動」(あえて仕事とは言わず)を続けているのはこれを持つ人の幸せを願うからです。そして私の考える幸せの第一条件とは、自分の人生を自分の意思で生きること。自分で悩んで決断して腹をくくって何かを選び(=それ以外は捨てて)進むこと。どんな小さな事でも。結果に関わらず。

たとえ仏が「私を手元に置きなさい」と言おうが、自分自身がそれをしたいと思わないならやる必要はありません。「したい・やりたい」と思ったらそうすればいいのです。

他者の「こうするのがベスト」という言葉にそのまま従うのは自分の人生を生きているとは言えないでしょう?自分で決めてこそ、自分の人生です。神が何を言おうが、仏が何を言おうが、親や世間や国家が何を言おうが、自分の人生は自分で決める。やるもやらぬも、どの選択肢を選ぶかも。自分で決めていいんです。自分の人生だから。

あとは、自分で決めたらその結果も自分で受け入れる覚悟を決めるだけ。他人のせいにはできないですから。自由と自立はセットです。私もそこに向かって進んでいるつもり。

あ、人生には自分で選べない物事もたくさんありますけど、それは今できる事だけを精一杯やってあとは天に任せるのみ。選べないことを「選べなかった」と悩むのはやめて、今選べることを自分で選びましょう。

話を小地蔵さんに戻すと、人間って本当に欲しいものは他人が止めても手に入れますよね。どうしても買いたい物は他人に意見を聞きませんて。悩むという事はどうしても欲しい・必要ではない可能性が高いと私は思います。

もっとも、どんな経緯・状況であろうがそれに関わらず仏さまは変わりなく寄り添ってくれます。手元に来たならそれが縁。何を選択しようとも分け隔てなく、より良い生き方へのサポートをしてくれることでしょう。

心の底から欲しいと感じたらぜひ買ってくださいね。小地蔵さんを介したやり取りが「私はどうしたい?」と自分の心に向き合うきっかけになれば幸いです。

木組みのワンダーな世界

2019年4月3日 [CAT雑記] [要素:]

山種美術館宇宙ミュージアムTeNQと紹介してきましたが同日訪れたもう1軒が木組み博物館。日本の伝統技術である木組みによる工法の実物模型展示と、触ってばらして組み立てて体験できる空間です。

寺社の梁模型

梁の模型 すごく複雑

今でも寺社に使われている木組みの技術は、金属を使わず木材だけで十分な強度と耐久性を実現できる素晴らしいもの。しかも実際に自分で組み立ててみるとその面白さにハマります。何でしょう。立体のパズル感覚かな。

木組みパズルの中

柱のくり抜きも複雑な形


木を組みこむ 左右

左右に木を組みこんで木杭を差す

前後木を組みこむ

次に前後方向を組んで木杭

上の写真は実際に触って体験できる木組みのひとつです。ただはめ込むだけでなく、上から入れて下へ落とし込むなど、立体の組み合わせの妙に感嘆します。こんなのがいっぱい。中にはどうやってばらすのか分からない物も。

自分の手を動かさないと、ただ眺めるだけでは大して面白くないでしょう。もし行くなら全部組み立て直すくらいの気合でどうぞ。入場無料ですが面白かったら寄付もよろしく。

裏隣の敷地には穴八幡宮という神社がありました。たいそう立派な社殿でびっくり。ボタン?がきれいでした。
ボタンの花

死んだらやりたい事がある(あった)

2019年4月1日 [CAT雑記] [要素:]

自分が死んだ際には宇宙の果てへ行こうと決めていました。肉体があるうちは行けないけど、魂だけになったらどこへでも行けるだろうと。

宇宙の果てには、この宇宙が138億年前ビッグバンによって生まれた当時の「始原の宇宙」が存在するそうです。ハッブル宇宙望遠鏡以降、それらが映像として示され視覚として認識できるようになりました。その始原の宇宙には生まれたばかりの銀河がいっぱい詰まっているのです。写真を見て、天体好きだった私は大興奮。銀河のてんこ盛りです。写真はITmediaNEWSの記事から借りてきたNASA発のもの。

始原の銀河団

あれもこれも全部銀河

そのてんこ盛りの銀河の間を通ってみたいのですよ。でも138億光年離れた場所(光の速さで移動して138億年かかる)にありますからね。死なないと行けないと思ってました。

が、その夢が思いがけず叶いまして。

水道橋の東京ドームシティに宇宙ミュージアムTeNQがあります。ここで、天体シアターを体験するのですがそれがまさに宇宙の果てを通過するものでした。今どきの映像技術はすごいですね。本当に銀河の間をすり抜けるような、始原の宇宙を実感でき、うれしくてクラクラしました。

死ぬ前に夢が叶っちゃったなぁ。じゃあ次は、死んだらどこに行こうかな。設定しておけばまた早々に叶うかもしれないからね。

宇宙ミュージアムはなかなか楽しかったです。今話題のはやぶさ2に関する展示もあれば、東大研究室分室もあります(本当に研究をやってます)。今回は『宇宙絶景 宙(ソラ)の旅』と題した天体写真展を見に行ったのですがそれも美しく迫力あるものでした。

宇宙の外側には、宇宙の果ての向こう側には何があるんだろう?そう考えるとますます宇宙に心惹かれます。

山種美術館@恵比寿

2019年3月29日 [CAT雑記] [要素:]

東京・恵比寿駅から徒歩10分くらいの所にある山種美術館は日本画専門の美術館だそうで、テレビに映っていた桜の絵を自分の目で見たくて行きました。奥村土牛 生誕130年記念とありました。

私は日本画の知識が全くないので知らなかったのですが、土牛さんは日本画の第一人者なんですね。で、知識もないし知識を入れる気もないまま、ただ見て感じることを実施。

見たかった桜の絵。吉野の山を描いた作品でした。これと醍醐の桜、もふもふのウサギ、山中湖からの富士山の4点がとてもきれいな色遣いで気に入り、何度もぐるぐる回って眺めました。

土牛作 吉野

これだけ撮影OK

笑ったのが仏を描いた作品。パタリロそっくりなんです。眉といい目といい。もしかしてパタリロってここから生まれた?と思ってしまいました。会場をぐるぐる回りながらその絵の前を通るたび、何度見てもパタリロ(笑い)。その他、シャム猫はキツネにしか見えないし、心の中でこっそりツッコミも入れられる楽しい作品展でした。日本画勉強されてる方がいたらごめんなさい。