畜生界に物思う

2019年1月7日 [ CAT 仏像彫刻周辺の話] [要素:]

先の「小説 ブッダ」を読んでいる流れで、以前から納得いかないと感じていた「畜生界」という概念もやはりブッダの教えとは違うのだろうと感じました。畜生界は輪廻転生する6つの世界(六道)の中のひとつで下から3番目、ちなみに人間界は上から2番目。

そもそもブッダがインドで悟りを開いた理由、それはヒンズー教のカースト制度が大きな一因であったとされています。生まれながらにして社会的な階級が決められ不可触民とされた人々は人間として扱われる事すらない、そんな社会に疑問を持ったからこそ仏教が生まれたわけで。

ブッダは社会的地位も性別も関係なく人は平等であると説き、自分の命も他人の命も、動物であれ植物であれ、命の重みに差異は無いと教えています。だから無駄な殺生をしてはいけない(最小限の命を分けいただき生きよ)と弟子に伝えていたそうです。動物を殺すなかれとも。

小説にはブッダが「私が鹿だった頃」と子供たちにお話しする場面があります。ブッダの教えを記した経典に乗っている内容だそうで、彼は動物だったこともあれば植物だったこともあれば、鉱物だったことも風や雨だったこともあると話しています。

だったら動物の命も人間の命も差別はしないでしょうに。なぜどこで一体いつ、動物の魂は人間の魂より程度が劣るという概念が仏教に組み込まれたのでしょう。また、男性の僧に比べ尼僧の地位が低いのはブッダの教えに反したことではないのでしょうか。どの命も同じように大切、というのが教えの重要な根幹だと思うのですが。

犬の寝姿

まあちょっと落ち着け

イエスもブッダも他の聖者もきっとその原点となる教えはまっすぐで美しく筋の通ったものだっただろうに、それを受け入れた人間の社会によって歪められたまま継承された部分が沢山あるはず。イスラム教過激派なんて、イスラムの神様は泣いてるだろうなぁ。

ついでに言うと、動物(特に特定のほ乳類)を殺すことには過敏なのに植物や微生物や虫には無関心、な主張にも私はなじめません。いや、植物も微生物も虫も私は殺すことがありますけどね。微生物なんか毎日何億も殺して(食べて)るだろうし。人間は動植物の命を食べて生きているのだから殺生は避けて通れません。ただ、いただく命に感謝し、より少ない殺生ですむように心掛けることはできると思います。

小説を読みながら、畜生界、という概念から始まって色んなことを考えています。ずっと納得できなかった日本社会や仏教的通念の矛盾に「やっぱりね」と思う今日この頃。上でもなく下でもなく対等、という意識が増えたら世界はきっと平和になります。

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