もし死ぬのが自分だったら

2019年1月4日 [ CAT 雑記] [要素:, ]

明けましておめでとうございます。平成最後の年が実りあるものでありますように。今年もよろしくお願いします。
2019年始あいさつ

さて、新年早々縁起の悪い言葉を…と思われるかもしれませんが実はその逆、とても力強く大きな輝きを放つ方の視点を紹介いたします。

前にも書いたとおり農家の台所というブログを読んでいます。同名のレシピ本が出会いでして、その後レシピ検索で再会してから愛読しています。開けっ広げな心の真っ直ぐさが好きで。

書いているのは53歳の桂子さん、夫婦2人で農業に従事しながら農家ならではのレシピをまとめた本を出版。
10月に盟友でもある52歳の夫を突然亡くしました。本当に、突然。そこからの2ヶ月が圧巻です。後を追いたいと思うほどに落ちて落ちて落ち込んで、今、ものすごい勢いで翔け上がっています。読むだけでこちらの心が浄化されていくよう。
以前、友人たちの姿を見た時にも感じたことですが、高く飛翔する人はその前にとても低くかがみこむのだなと、改めて思いました。
蓮の花

その桂子さんが「亡くなった人の目線で考えたら遺してきた人がどう在ってほしいか、どう暮らしてほしいか」を考え、実践されてます。一部抜粋させていただきました。

私が死んで主人が生きてる。
そしたら、私は間違いなく主人をずっと見守っているでしょう。

そしてその主人が毎日落ち込み、ほとんど何も食べず、何もせず、嘆き悲しんでいたら、私の胸は張り裂けそうになると思います。
心はあっても、姿を現すことも手を握ってあげる事も、抱きしめてあげる事も出来ない。

でももし主人が、頑張って食べて、私の分まで長生きしようと思って、沢山の人に囲まれながら笑って、そしてたまに私の事を思い出して「会いたい」と思ってくれたなら私は幸せだと思うんです。

その通りだと思うのですよ。自分が死んでみる(頭の中で)と分かります。自分が死んだら空の上から誰を見るだろう?それが大切な存在であればあるほど、幸せに暮らしてほしいと思うはず。
雲に乗る小地蔵さん

忘れるのではなく、感情にフタをするのでもなく、目に見えなくなった大切な「誰か」と一緒に幸せな日々を送るのです。いつも頭の上から覗き込んでいるだろう「誰か」と共に。もし今が幸せでないと感じるなら幸せになるための努力を続ける。すぐそばで見守っているはずの見えない「誰か」に愚痴でも聞いてもらいながら。

ただし、感情を押し込めて頭だけでこう考えても苦しいだけ。出すだけ出して、悲しみを感じきって、ふと他者の視点に移ってみることで、目の前の世界が変わります。いつまでも悲しんでいたって別にいいじゃないですか。悼むことと不幸でいる事とは違います。

実は私も、同じ視点を抱いてこの15年を生きてきました。この命が終わり、先に逝ってあの世で待っている大切なものたちと顔を合わせた時に、自分の人生から逃げて彼らに顔向けできないなんて絶対嫌、「自分なりに頑張った人生だったよ」と報告できるようにありたいと自分を鼓舞しつつ。

「小説 ブッダ」の中にこんな話が出てきます。

種から芽が出てそれが育って木になりました。さて、種はどこへ行ったのでしょうか。消えて(死んで)しまった?
いいえ、違います。種は形を変えて生きています。今は木という形で。
生と死とは形の違い。全ての現象は別の現象に変化する。本当は生も死もなく、ただ命の循環があるのみ。消えたように見える命もこの世界の全てに形を変えて生きている。だから死を恐れる必要は無い。

大切な亡き「誰か」も形を変えて存在していると思えたら、死別の苦しみももっと楽になるし、遺された者の人生も軽やかになるでしょう。

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