今の自分で幸せと感じられるか

2018年11月20日 [ 雑記] [ , ]

この1ヶ月半、手の状態が一進一退を繰り返しちっとも「治癒」へと進みませんでした。1ヶ月もあれば完治するだろう怪我だと思っていたらとんでもなく悪化した挙句、2次的・3次的問題を発症し、彫刻どころか日常生活も満足にできず。前向きに暮らしているつもりでも、時にはいらだったり落胆したりの毎日。

そんな折、岸見一郎さんの言葉に「うっ」となりました。

NHK 100分de名著 「人生論ノート」の初回でした。たまたまTVを点けたらその番組で、ぼんやりと眺めていました。岸見さんが脳梗塞で身動き取れない状態になった時に到達した「自分はなんと幸せであろうか」という思いに、自分自身を振り返りました。

今の私、全然幸せだと思ってない。むしろ不幸感さえ持っていてそれから脱する事しか考えてない。助けてくれる周囲に対して感謝はしているけれど彫れないというだけで不幸な気持ちに陥ってしまっている。今まで自分は幸せだと思っていたけれどもその「幸せ」は条件付きだったんだ…。

ずきっときましたね。生かされていることに感謝するどころか、ただ1点の「できない」事(仏像彫刻)に焦点を当てて落ち込んでいる自分に気付きました。そして、自分にとってどれほど仏像彫刻が特別であるかも自覚しました。
小地蔵さん 念珠

一番ひどい状態の時は2週間、右手(利き手)を動かすこともままならず、ほぼ左手1本で暮らしました。その生活を経験してほとんどの事は、できないならできないなりのレベルで暮らしていけばいいやと割り切れました。時間さえかければそこそこイケル。
人生はいつか終わるし、いずれ衰えてできない事が増えていくのだからそれが早いか遅いかだけの話。もし後遺症が残って指が不自由になったとしても暮らすことは何とかなると思えます。
だけど仏像彫刻だけは、レベルダウンなんて絶対嫌。もっと上手になりたい、まだ彫りたい細かな細工があるのです。まだ全然やり切ってない。

ただ、だからといってその大切な何かが思い通りにできなくてネガティブな感情に浸り続けるのは、方向が違うんです。多分、そこからまた何かが始まる。

例えば疾患や障害により、生き甲斐を失ったり体ひとつ動かすのが困難な寝たきりの状態で「幸せ」に到達するのがどれほど困難なことか。それをしている人たちは何と高い山に向かって進んでいるのでしょう。

私はそんな高い山には登れないでしょうけれども、自分なりの山あり谷ありな時間を過ごしています。ちなみに手の状態は…収束は見えてきましたがもう少しでしょうかね。年内はのんびりしようと思います。

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